9月20日
皆さん、こんばんは。
Y(クマ)です。
本日はエアガンの歴史についてお話します。
と言ってもY(クマ)の知っている(生まれてから今日まで)範囲でしかお話しできませんが・・・(^_^;)
エアガンとして進化した年代は1970年代で、当時はまだ実銃の形をおらず近未来的な形の物がほとんどでした。
弾も現在のBB弾では無く、7mmのツヅミ弾とよばれる物を撃ちだしていました。
発射方式は今のコッキング式とほとんど変わらず手で一発づつエアと弾を装填して撃ちだす物でした。
しかしツヅミ弾というテルテル坊主の形状をした弾が飛距離と集弾性を損ねていたためあまり浸透はしなかったようです。
1980年代になりエアガンは急激な進化を遂げます。
80年代前半に現在では主流の6mmBB弾となり、銃自体も実銃と同様な形をしはじめました。
この頃の発射方式もエアコッキング式が主流でした。
80年代後半Y(クマ)がエアガンで遊び始めた頃セミオートやフルオートで撃ちだせるガスガンが登場、瞬く間にガスガンを所持する人達が増えました。
フィールドではガスレギュレーターやエアタンクを背負ってフィールドを駆け回る人達が急増しました。
しかしこの頃からエアガン事情は「パワー=飛距離」となっていきます。
外部ソース式のガスガンはタンクの圧力を高める等、スプリング式のエアガンは強化スプリングやボアストロークを上げる等でパワーが上がります。
当時誰もが他人よりも遠くに弾を飛ばしたいと競い合っていました。
その頃Y(クマ)の使用していたコッキングライフルは200%のスプリングを使用し0.4g以上のBB弾を50m先にある的に水平撃ちで当てることが出来るほどの威力を持っていました(^_^;)
今考えるとどんだけパワーが出てたんだろう・・・と思ってしまいます。
そしてそれに伴いエアガンを悪用する人達も出てきてしまい、社会問題にもなりました。
これがエアガンの黒歴史・暗黒時代の到来です。
90年代に入っても波は収まらず前半に至ってはショップが自ら作製したカスタムガン等も売られるようになりパワー時代に拍車をかけていました。
その頃東京マルイがその後のエアガンの常識となる電動ガンを発売しました。
ガスタンク・エアタンクを装備しなくても弾がフルオートで撃ち出せ、なおかつバッテリー一本で2500~3000発撃てるという宣伝文句に当時のユーザーは驚いたものでした。 (当時のフルオートのできるガスガンは燃費が悪く300発程で撃ちだせなくなる物がほとんどでした)
その後もパワー時代はしばらく続き、残念な事にエアガンを使った犯罪(傷害・器物破損)も増加の傾向にありました。
90年代後半は減らない犯罪(車や街灯、動物や人に撃って怪我をさせる等)とパワー重視のカスタムに対し遂に国が規制をかけようと動き始めます。
それに反応してメーカーが自主的にパワーに関する規制をかけはじめました。
「パワー=飛距離」と考えていたメーカーやユーザーは他の方法で飛距離を出そうと動き始めます。
そして2006年にパワーに対する規制として、0.98J以下にならないと銃刀法違反となり、罰則は「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」で検挙されることになりました。
この規制によりパワー時代は終息を迎え今日に至ります。
中には力尽きてエアガン業界から消えていったメーカーもありました。
その頃マルイは独自にパワーに頼らなくても飛距離を出すHOPUPシステムを開発して成功を収めました。
この方式は各メーカーも取り入れ今日のエアガンに受け継がれています。
現在では内部のカスタムは規制がかかった事によりほとんどが発射サイクルを速めた物になってきています。
また忠実に実銃の形と再現したり、20mmレイルに色々なオプションパーツが取り付けられる等ユーザーにとって充実した時代になりましたね。
海外メーカーからもエアガンやパーツ等が入るようになり比較的安価で装備が買えるようになりました。
最近は新規のサバイバルゲーマーの方も増えてきています。
これからも新規のユーザーがサバイバルゲームに入り易い環境をつくっていくためにスタッフ一同がんばってまいりますので応援よろしくお願いします。
本日ご来店くださいましたお客様のご紹介です。
またのご来店をお待ちしております。
2012.09.20 by specialforce | 2 Comments »
Y(クマ)です。
本日はエアガンの歴史についてお話します。
と言ってもY(クマ)の知っている(生まれてから今日まで)範囲でしかお話しできませんが・・・(^_^;)
エアガンとして進化した年代は1970年代で、当時はまだ実銃の形をおらず近未来的な形の物がほとんどでした。
弾も現在のBB弾では無く、7mmのツヅミ弾とよばれる物を撃ちだしていました。
発射方式は今のコッキング式とほとんど変わらず手で一発づつエアと弾を装填して撃ちだす物でした。
しかしツヅミ弾というテルテル坊主の形状をした弾が飛距離と集弾性を損ねていたためあまり浸透はしなかったようです。
1980年代になりエアガンは急激な進化を遂げます。
80年代前半に現在では主流の6mmBB弾となり、銃自体も実銃と同様な形をしはじめました。
この頃の発射方式もエアコッキング式が主流でした。
80年代後半Y(クマ)がエアガンで遊び始めた頃セミオートやフルオートで撃ちだせるガスガンが登場、瞬く間にガスガンを所持する人達が増えました。
フィールドではガスレギュレーターやエアタンクを背負ってフィールドを駆け回る人達が急増しました。
しかしこの頃からエアガン事情は「パワー=飛距離」となっていきます。
外部ソース式のガスガンはタンクの圧力を高める等、スプリング式のエアガンは強化スプリングやボアストロークを上げる等でパワーが上がります。
当時誰もが他人よりも遠くに弾を飛ばしたいと競い合っていました。
その頃Y(クマ)の使用していたコッキングライフルは200%のスプリングを使用し0.4g以上のBB弾を50m先にある的に水平撃ちで当てることが出来るほどの威力を持っていました(^_^;)
今考えるとどんだけパワーが出てたんだろう・・・と思ってしまいます。
そしてそれに伴いエアガンを悪用する人達も出てきてしまい、社会問題にもなりました。
これがエアガンの黒歴史・暗黒時代の到来です。
90年代に入っても波は収まらず前半に至ってはショップが自ら作製したカスタムガン等も売られるようになりパワー時代に拍車をかけていました。
その頃東京マルイがその後のエアガンの常識となる電動ガンを発売しました。
ガスタンク・エアタンクを装備しなくても弾がフルオートで撃ち出せ、なおかつバッテリー一本で2500~3000発撃てるという宣伝文句に当時のユーザーは驚いたものでした。 (当時のフルオートのできるガスガンは燃費が悪く300発程で撃ちだせなくなる物がほとんどでした)
その後もパワー時代はしばらく続き、残念な事にエアガンを使った犯罪(傷害・器物破損)も増加の傾向にありました。
90年代後半は減らない犯罪(車や街灯、動物や人に撃って怪我をさせる等)とパワー重視のカスタムに対し遂に国が規制をかけようと動き始めます。
それに反応してメーカーが自主的にパワーに関する規制をかけはじめました。
「パワー=飛距離」と考えていたメーカーやユーザーは他の方法で飛距離を出そうと動き始めます。
そして2006年にパワーに対する規制として、0.98J以下にならないと銃刀法違反となり、罰則は「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」で検挙されることになりました。
この規制によりパワー時代は終息を迎え今日に至ります。
中には力尽きてエアガン業界から消えていったメーカーもありました。
その頃マルイは独自にパワーに頼らなくても飛距離を出すHOPUPシステムを開発して成功を収めました。
この方式は各メーカーも取り入れ今日のエアガンに受け継がれています。
現在では内部のカスタムは規制がかかった事によりほとんどが発射サイクルを速めた物になってきています。
また忠実に実銃の形と再現したり、20mmレイルに色々なオプションパーツが取り付けられる等ユーザーにとって充実した時代になりましたね。
海外メーカーからもエアガンやパーツ等が入るようになり比較的安価で装備が買えるようになりました。
最近は新規のサバイバルゲーマーの方も増えてきています。
これからも新規のユーザーがサバイバルゲームに入り易い環境をつくっていくためにスタッフ一同がんばってまいりますので応援よろしくお願いします。
本日ご来店くださいましたお客様のご紹介です。
またのご来店をお待ちしております。